はじまり
等妙寺旧境内は、元応2年(1320年)鬼北町南西部の山中に、
天台宗の僧・理玉(りぎょく)によって開かれた修行の寺。
260年間隆盛を誇ったが、天正16年(1588年)火災で焼失。
本尊の如意輪観音は麓に移され、そこに現在の等妙寺が再建された。
かつての等妙寺は、土に埋もれ木々に囲まれひっそりと姿を隠し、
知る人ぞ知る存在に。
そして、全国で唯一『鬼』の名がつく鬼北町の
ルーツの伝説の元となりました。


そのひとつが、歌舞伎の人気演目「曽我物語」の主人公、
親の仇討ちで名高い曽我兄弟と家来の鬼王段三郎にまつわる物語。
地獄で苦しむ兄弟の魂を理玉和尚が救い、
彼らの菩提を弔う為に等妙寺を建てたとか。
また別の物語では、
理玉が修行の寺を建てようと山中をさまよっていたところ、
鬼王段三郎に出会う。
「今から投げる岩の落ちたとことに寺を建てよ」と鬼王が示したところに、
理玉が等妙寺を建てたとか。


そして現在…
「昔々、あそこに大きなお寺があったんよ」
平成2年(1990年)、地元の伝承を頼りに山に入ってみると
かつての等妙寺の痕跡が次々と現れた。
四百年の時を超えて目覚めた等妙寺旧境内は、
中世の山の神への信仰をはじめ、
天台仏教の姿を今に残す貴重な歴史遺産。
現在は発掘調査を経ながら、
人々の憩いの場として整備が進められている。
※等妙寺旧境内は平成20年(2008年)に国の史跡に指定されている。